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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
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シンポジウム 箸墓再考
奈良・古代
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今日はまた久しぶりに古代もので(^^;;)。先日、箸墓古墳の地元、奈良県桜井市で「箸墓再考」と題するシンポジウムが開催された。当日は市民会館の大ホールに北海道から九州より満員となる1200名が集まり、熱い空気のなか大いに盛り上がった。私もうずうずが抑えきれず、とうとう出かけてしまった(笑)。


桜井市に向かって走る車のナンバーがいつもと違う。大阪、なにわ、和泉、堺、京都、滋賀といった近府県のものから、姫路、岡山、広島、三河、静岡、千葉、群馬、はては新潟、いわき、福島なども。かくいう私も多摩ナンバーだが(笑)。


古代ヤマト王権の勢力もかくやと思わせるほど、各地から古代史ファンが集まったのも無理はなかった。纏向遺跡や箸墓古墳の地元での一大イベントなのだから。「シンポジウム 箸墓再考」。まさに、どストライクのテーマである。しかも、朝から夕方まで、どっぷり1日かけてという力の入りようだ。古代史ファンならおのずと血が沸き立つものがあろう。私も帰省のついでというべきか、はたまた帰省がついでというべきか、数カ月前から申し込んでいた。幸い私は参加できたが、定員に達したあと断られた人がかなりいたらしい。


シンポジウムのメンバーは、古墳の専門家で近つ飛鳥博物館館長の白石太一郎氏、三角縁神獣鏡のオーソリティである大阪大学の福永伸哉教授、そして地元、纏向遺跡のエキスパートで桜井市纏向学研究センターの寺澤薫所長など、古代史の世界では綺羅星の論客がそろった。顔ぶれだけでも期待が高まるものがあった。


午前から午後にかけて記念講演や基調講演が続いたが、ハイライトはパネラー全員によるディスカッションだった。箸墓古墳からは吉備系の遺物が出土しているがそれは何を意味するのか、纏向遺跡と箸墓古墳のいずれをより「画期」と見るべきか、そして、箸墓古墳の被葬者はいったい誰なのか、といったテーマについて議論が交わされた。


箸墓古墳はそれまでの90メートル級の纏向型前方後円墳に比べて、全長280メートルと突然変異のように巨大化している。そこには何らかの特別な意味が見出されねばならない。福永氏は、この箸墓の大きさを決して軽く見てはいけないと強く主張する。世界に視野を広げても、箸墓の大きさはエジプトのピラミッド、中国の始皇帝陵に匹敵するもので、かつ、箸墓をもって前方後円墳が定まり全国的に波及したのだから、箸墓の存在意義はとてつもなく大きいと指摘する。


それに対して寺澤氏は、箸墓よりも纏向成立のほうに重きを置く。100余国が相争い、収拾がつかなくなった「倭国乱」を古代人たちは女王卑弥呼を立てることによってピリオドを打った。邪馬台国といわれる国の誕生である。これはいわば「ガラガラ、ポン」だと寺澤氏はいう。それまでのあり方とはまったく異なる新しい社会秩序がこの国にもたらされ、新時代へと突入した。喩えていえば、ラジオ放送しかなかったところへテレビ放送が始まったようなものだと指摘する。


したがって、箸墓以前、纏向成立とともに登場していた纏向型前方後円墳は日本で初めてつくられたテレビ塔・日テレタワーに等しく、箸墓古墳は東京タワーのようなものだという。つまり、東京タワーは333メートルの高さを誇り大いに目立つが、本質的には日テレタワーの延長にすぎず、画期という意味では初めてのテレビ塔誕生、すなわち、纏向成立のほうに軍配を上げるべきだというのである。


白石氏は、寺澤氏の指摘する纏向成立の意義を認めつつ、やはり箸墓の意味は大きいという。纏向が成立した邪馬台国の段階では、「倭国乱」が収められたとはいえ、いまだ東のクナ国とは敵対していた。しかし、箸墓以降、ヤマト王権が成立してついにクナ国をも勢力下に置き、ヤマト王権は全国を制する。したがって、線を引くならば、やはり箸墓においてこそ引かれるべきだというのだ。


いずれの主張にも説得力があり、それぞれ肯かされるものがあった。なかなか中身の濃いシンポジウムになったと思う(アートのシンポジウムもこれぐらいになってほしいものだ。笑)。私自身はどちらかといえば寺澤氏の主張にもっとも共感を覚えた。それまでまったく存在しなかった新しい社会秩序をもたらした卑弥呼の国の誕生は、前時代とは次元の異なる意義があったように考えるからだ。加えて私は、卑弥呼の国は一般的には邪馬台国(ヤマタイコク)と呼ばれるが、はたしてヤマタイコクなるものは存在したのだろうか、とも思っている。


ヤマタイコクと呼ぶとき、それはのちのヤマト王権とは別モノだという含意がある。しかし、結論的なことをいえば、私はいわゆるヤマタイコクとは、じつはヤマト王権そのものではないかという疑問を抱いている。そして邪馬台国をヤマタイコクと読むのは間違いで、ヤマトコクと読むべきではないかと考えている。


卑弥呼の邪馬台国において纏向型前方後円墳がつくられるようになり、それが箸墓古墳で定形型前方後円墳としてリファインされ、さらにヤマト王権下全国へ広まっていった、というのが定説である。つまり、考えてもみれば、邪馬台国の纏向型前方後円墳からヤマト王権の定形型前方後円墳にいたるあいだには本質的なギャップは何もない。もし、邪馬台国とヤマト王権が別モノであるのならば、纏向型前方後円墳と定形型前方後円墳のあいだには何らかの明確なギャップが存在するはずではないだろうか。


出雲系では四隅突出墳墓、東海系では前方後方墳というように、古墳の形式は王権の象徴的意味合いを含んでいる。その古墳形式においてギャップがないということは、邪馬台国とヤマト王権がじつは同一政権であることを暗示しているのではないか、と私は思う。このことについて、専門家があまり指摘しないのが不思議である。専門家のなかで私と同様に邪馬台国=ヤマト王権の可能性を認めているのは寺澤氏だけで、そういう点においても私は寺澤説を支持したい思いがするのである。だが、寺澤氏は現況の古代学界においては異端ともいうべき存在で孤軍奮闘の感がある。


寺澤氏の孤軍奮闘といえば、箸墓古墳の被葬者についても同様で、他の研究者がそろって卑弥呼を第一候補とするなか、ひとり寺澤氏だけは卑弥呼ではなく次の台与(トヨ)あるいは男王と考えている。


今回のシンポジウムでは邪馬台国九州説をとる専門家がいなかったので、邪馬台国は纏向だとする暗黙の了解のもとに議論が進められたが、これで九州説の人もいれば、より盛り上がったことだろう。これで終わるのはじつに勿体なく、2年ごとでも3年ごとでもいいから定例化してほしいものだ。「箸墓再考」の1日は「箸墓最高!」だった(笑)。