CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< June 2020 >>
PROFILE
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
amazon1
amazon2
amazon3
amazon4
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
OTHERS

ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
<< シンポジウム 箸墓再考 | main | アンドレアス・グルスキー展 >>
「いい思い出」を重ねて、人生を意義深く
アートを考える
私たちは何のためにアートを見るのだろうか。感性を磨いてセンスのよい人になるためだろうか? アートに関する見聞を深めるためだろうか? それとも、アートを見ることを通して人間的に成長しようとしているのだろうか? そういった目的ももちろんありだろうが、ちょっと違った次元から考えることもできるように思う。


ずっと前のことになるが、作家の佐藤愛子さんとお話をする機会があり、どうした成り行きだったか、「意義ある人生とは何か」という話題になったことがある。人生の大先輩である佐藤さんがどうお考えか興味津々で聞いていたところ、佐藤さんは意義ある人生とは「どれだけたくさんのいい思い出があるか」だといわれた。


当時まだ若かった私には、その説明は拍子抜けするものだった。意義ある人生というと、やはり何ごとかを成し遂げるとか、納得のいくライフテーマを見出して追究し続けるとか、そういうものではないかと漠然と思っていたのに、「いい思い出」というのではあまりに軽く、物足らなく思えたのだ。そこで、意義ある人生が「いい思い出」では少々軽いのではないか、もっと重みあるものではないのかと食い下がって反論したところ、佐藤さんは「いや、ひと言でいうと、どれだけ『いい思い出』を重ねられるかにきわまる」と頑として説を変えようとはされないのだった。


結局そのときは、そういうものかなぁとしか思えず、私は何だか消化不良の感を覚えたまま佐藤さんの家を辞した。ところが、近年になって、折に触れてあのときの佐藤さんの言葉を思い出すのである。親が老い、自分もおそらくは人生の折り返し点をすでにUターンしたいま、ふと自分の人生にはどういう意義があるのだろうかと考えるようになった。そう思うときの「人生の意義」とは、決して仕事や業績といったものだけではなく、自分の私的な部分も含まれており、つまりは公私ともどもにおけるトータルでの「人生の意義」なのである。


公私ともどもの「人生の意義」ということになると、にわかに仕事や業績といったものは縮小し、家族や親しい人との出来事がクローズアップされてくる感が私の場合はする。具体的には、誰それとどこそこへ旅したときのこととか、あのときのお正月にみなで集まり笑い合ったこと、といったことがとても大切なものだったのだと思われてくる。そこまで考えて、ふいに気がつく。何のことはない、それらはすべて「いい思い出」ではないか、と。


人生の意義には社会的な誉れもあれば、私的な充実もあるだろう。佐藤さんが「意義ある人生とは、いい思い出の積み重ね」とおっしゃっていたのは、そうしたもろもろすべてをひっくるめてのことだったのだ、と遅まきながら私にもようやくわかり始めた気がしている。端的な言い方をするとき、私たちの人生は「いい思い出」がどれだけあるかで決まる、ということになるのだろう。


「いい思い出」という捉え方をすれば、何も「意義ある人生とは」などと振りかぶって大仰に(だが抽象的に)考える必要はなくなる。そして、アートとの出会いも「いい思い出」になりうることがわかる。ある展覧会に出かけ、思った以上の見応えを覚え、ひととき時間を忘れるくらい没頭して作品と向き合った、という経験が誰しもあるかと思う。それはささやかながら一つの「いい思い出」に違いない。


すなわち、もし「今日の展覧会はよかったなぁ」と思うことができたら、それは「いい思い出」となって「人生の意義」にきっと結びついている。長い人生のなかでは小さな断片にすぎないかもしれないが、アート鑑賞もまた、意義ある人生づくりに役立ちうるのである。そんなことも私たちがアートを見る目的、意味ではないだろうか。