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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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ゴッホのトリビア
アートリビア
ゴッホという画家は、私のようなアートライターにとってはすこぶる重宝な存在である。ネタの宝庫で、楽屋裏を明かすと「書くことに困ったらゴッホで」という具合に何かと切り札になってくれる。今日はそんなゴッホに敬意を表して、「画家になるまでのゴッホ」にまつわるトリビアをちょっと。


gogh_age13.jpg
13歳ごろのゴッホ


● 画商なのに客に「買うな」と“逆アドバイス”
知られる通り、ゴッホは画家になる前はいくつかの職業を転々としていた。最初の仕事は画商だった。16歳のとき、おじさんの口利きでグービル商会という美術商に就職している。そのころから思い込みの激しい性格だったらしいが、当初はその性格が吉と出て、とても仕事熱心な子だと評価されていた。

ところが、思い込みの激しさが次第に災いしていく。自分の好きではない絵を買おうとした客に対して、ゴッホは「買わないほうがいい」と“逆アドバイス”するように。当然、店のほうとしてはそんなことをされてはたまらない。ゴッホは支配人から注意されるが、「私にご不満がおありですか?」と逆ギレして解雇された。


● 「常軌を逸した」伝道師ゴッホ
23歳のころ、貧民街で生活する人々を見て、ゴッホは自分の使命はこうした恵まれない人々を救済することだと目覚め、キリスト教の伝道師になることを思い定める。ブリュッセルの伝道師養成学校に入って3カ月学ぶが「不適格」となり、独自にベルギーの炭鉱で半年間の期限付きで見習い伝道師の職を得る。炭鉱の人たちの生活は劣悪で、ゴッホは心の底から彼らを気の毒に思った。そして、彼らを救済するためにできることは何でもしようと決意した。

ゴッホは自らを彼らと同じレベルの生活に置いた。自分の服を彼らにやって自分はシャツ1枚の着たきりになり、寝具も彼らのために提供して自分は藁のなかで寝起きした。落盤事故が起こると危険な現場に駆けつけ、下着を引き裂いては包帯をつくり、チフスが流行したときには食事もとらずに病人の介護にあたった。ゴッホは誰よりも必死に働き、医者が見放した患者を救ったことさえあったという。炭鉱の人たちに生きる希望をもたらすために説教を続け、文字通り献身的な日々を送った。

だが、ボロボロの格好をして人々に幸福を説いて回るゴッホのありさまに、最底辺の生活を強いられていた炭鉱の人々も「あの男は狂っている」と気持ち悪がるようになり、ゴッホは敬遠されてしまう。伝道委員会の視察官にも「常軌を逸した熱心さ」と見限られ、契約は延長されることなく、伝道師への道は挫折してしまった。


gogh_age19.jpg
19歳ごろのゴッホ


● 絵の具を飛び散らせて嫌われた
伝道師になれなかったゴッホは、ついに画家を目指すようになる。32歳のとき、アントワープの油絵学校に入る。が、ここでもゴッホの熱心さは異常だった。ほかの生徒が1枚描き終わらないうちに、ゴッホは5枚も6枚も描いたという。あまりにも熱中したため、自分はもちろん、周りの生徒やあたり一面に絵の具を飛び散らせてしまうのもおかまいなしだった。怒った教師に「デッサンからやり直せ」といわれてしまう。

ところが、デッサンでもゴッホはトラブルを引き起こす。あるとき、ヴィーナス像をデッサンすることになった際、ゴッホは腰を思いっきり大きく描いた。それを見た教師が「もっと実物に忠実にデッサンしなさい」と注意したが、ゴッホは「女性は赤ん坊を生まなくてはならないので、腰は大きくなくてはだめなんです」と受け付けなかった。指導を聞かないゴッホに教師は腹を立て、結局、ゴッホは退学に。


という具合で、生来の思い込みの激しさと、一度思い込んだらどこまでもという性格で、ゴッホはなかなか社会と馴染むことができなかった。正直、ゴッホが隣人だったら、私も友だちにはなれなかったと思う。


でも、こうしたエピソードに触れるにつけ、彼が信じられないほど純粋な心の持ち主だったということはよくわかる。打算とか応報といった言葉はゴッホの辞書にはなかっただろう。見習い伝道師時代の話など、余人にはできない献身をしているにもかかわらず理解してもらえず、ほんとうに泣かせるものがある。純粋すぎたために世の中に受け入れてもらえなかったが、かといって、その純粋さがなかったらゴッホはゴッホ足りえなかっただろう。初めから不可分の矛盾を抱えていた男だった。それゆえになお哀れと切なさが誘われる。


冒頭、「ネタの宝庫」などという書き方をしてしまったが、ゴッホはいろんな意味で二人といない画家だったと思う。いま、ゴッホといえば世界中でもっとも人気のある画家である。何とかそのことを本人に教えてあげることはできないものだろうかと思えてならない。