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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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知識の分別
鑑賞のヒント
アート鑑賞における知識の問題に触れてきた。知識があればより鑑賞を深められることもあるけれど、知識のせいで先入観がついたり自由な鑑賞が阻害されたりすることもあるため、知識はあくまでも鑑賞をサポートするものだという認識が大切だと述べた。そして、そのための工夫として「知識は部下である」と捉えることをおすすめした。


知識の捉え方について、もうひとつ提案しておきたい。それは「知識を分別して受けとめる」ことである。私たちがテレビや雑誌、本などから受け取るアートの知識には、じつは種類がある。そのことに気づき、種類に応じた受けとめ方をすると、知識の弊害をミニマムに抑え、恩恵をマキシマムに活かすことができる。


 
さっそく、例をもとに説明してみよう。↓は1916年に描かれたクロード・モネの《睡蓮》(国立西洋美術館)である。


monet_nwm.jpg


美術館が発行している図録にこの絵についての解説が載っているので、一部を引用して紹介してみよう。


「この作品も画面は完全に上から下まで水面だけで覆われ、そのため見る者は、あたかも池の中に立っているかのような強い感動を受ける。花や水を表わす筆触や色彩は、初期の印象主義的な手法とはかなり異なり、時には表現主義的ともいえる厳しさで、池の水面の神秘なまでの美しさを捉えている。本作品もまた、このようなモネ晩年の『睡蓮』に属すが、その中でも最も優れたものの一つといえよう」(『国立西洋美術館名作選』より)


本や雑誌、あるいは美術館などに掲載されているアート情報は、だいたいこのようなものだと思う。ごく標準的と思われるこの解説、あなたはどのように読んだだろうか。


私たちは、ふだんこうした解説を読んだり聞いたりして作品や作家に関する知識を得ているわけだが、この種の解説を読むにあたっては気をつけたほうがいいことがある。それは、記述されている情報のなかには、客観的な事実関係が説明されている「客観情報」と、評価や判断、感想などが語られている「主観情報」とがあり、それぞれ読み方を変えるほうが望ましい、ということだ。


たとえばこの例でも、「画面は完全に上から下まで水面だけで覆われ」ているとか「筆触や色彩は、初期の印象主義的な手法とはかなり異な」っているといった部分は作品の様態や特徴を説明している客観情報なのに対して、「あたかも池の中に立っているかのような強い感動を受ける」「その中でも最も優れたものの一つといえよう」といった部分は書き手の感想や評価、判断が含まれた主観情報になっている。短い解説文のなかでさえこのように客観情報と主観情報が混在しており、こうした書かれ方が一般的といってよいだろう。


客観情報は事実を説明しているだけだから、いわば単なるデータである。それに対して主観情報は、あくまでもその書き手の評価や感想という特化したものだ。違う人が解説を書いたら、まったく異なる内容になってもおかしくない。なので、主観情報については「この書き手の言い分としては」という但し書き付きで読むほうが安全といえる。


よく「見逃せない世界的名画が展覧会に出品されます」とか「この作家、最高の代表作です」ときわめて高い評価とともに作品が紹介されたり、「この絵を見るポイントはここです」「絵に潜まされた作家のこういう意図を見抜かねばなりません」といった具合に作品の見方が“指示”されることがあるが(最近は公立の美術館でさえそういう紹介のしかたをしていて、ほんとうに困ってしまうのだが)、それらはすべて主観情報であって、鵜呑みにしたら知識の弊害に毒されて主体的な鑑賞が失われる恐れがある。ほんとうは、作品のどこをどう見るか、最高の代表作かどうかは、見る人がそれぞれ自由に判断すればよいことである。


知識の弊害に陥らず、知識を鑑賞のサポート役として活用するには、客観情報はデータとして自分のなかにストレージしておく一方、主観情報は鵜呑みにはせず、世の中にはこういう見方もあるのだなぐらいに参考として受けとめておくとよい。つまり、客観情報と主観情報を分別して読み取るのである。


そうすれば、知識に呑み込まれる恐れはかなり低減できる。と同時に、知識を得ることによって広がる鑑賞の可能性を担保することもできる。実践的で効果的な知識とのつき合い方ではないだろうか。


もし、これまで何の気なしにしか解説を読んでいなかった人は、できればこれからは客観情報と主観情報を分けて読むようにすればよいと思う。きっと、あなたの主体性が損なわれることなく、さまざまな知識を活かした鑑賞が可能になるはずである。ただし、そんなことは難しい、できそうにない、と思われたら無理にまでする必要はない。それが強迫観念になってはアート鑑賞そのものが面白くなくなる恐れがある。でも、習うより慣れろで、そのうちけっこう自然にできるようになるものだと思うが。