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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
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三角縁神獣鏡
奈良・古代

最近、NHKニュース7とニュースウォッチ9で三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が大きく取り上げられてビックリした(NW9ではトップ扱いだった!)。このところ古代史にハマッているのでNHKが後追いしてきたのかと思ってしまったが(笑)、にわかにクローズアップされたので今日は臨時で三角縁神獣鏡についてエントリー。


三角縁神獣鏡とは、縁の断面が山型の三角形をしているのが特徴の古代の銅鏡のことである。ニュースでは「卑弥呼の鏡ともいわれる」と伝えていたが、これがどういう意味かというと、239年に卑弥呼が古代中国の魏に使者を送った際、魏の皇帝が卑弥呼に「銅鏡百枚」を授けたという記述が「魏志倭人伝」にあり、そのことをいっている。

 

倭人伝には「銅鏡百枚」としか書かれていないが、昭和26年に考古学者の小林行雄氏がこの「銅鏡百枚」とは三角縁神獣鏡のことだという学説を発表し、以来、三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡ではないかと注目されてきた。三角縁神獣鏡には「景初三年」という銘文のあるものがあり、「景初」とは魏の年号であり、そして「景初三年」はまさに239年であることから説得力のある学説となっていた。


小林説の根拠となったのには、京都府木津川市にある椿井大塚山古墳から32枚という大量の三角縁神獣鏡が発掘された事実もあった。当時、椿井大塚山古墳は最初期の古墳と考えられていたため、そこから32枚もの三角縁神獣鏡が出てきたということは、これこそが卑弥呼の「銅鏡百枚」に違いないと考えられたのだ。


ところが、その後、状況は微妙になっていく。各地で古墳の発掘が進むにつれ、あちこちから三角縁神獣鏡が見つかり出したのだ。結局、今日にいたるまで三角縁神獣鏡は500枚も発掘されており、そうなると卑弥呼がもらった「百枚」を大きく上回ってしまうことになり、いったい、これはどういうことだ、という話になっていった。


そこで、三角縁神獣鏡がより細かく調査されたところ、どうやら全部が全部中国渡来のもの(これを舶載三角縁神獣鏡という)ではなく、“原本”を真似て日本でつくられたもの(これを倣製三角縁神獣鏡という)もあるらしいことがわかってきた。さらに、細かな模様や鏡の厚さ、紐を通す穴の様態までが精緻に調べられた結果、舶載、倣製合わせて三角縁神獣鏡は4種類に分けられることも明らかになった(あるいは5〜12種類に分けられるとする説もあり)。


三角縁神獣鏡についての知見が蓄えられていくにしたがって、どうも卑弥呼の「銅鏡百枚」とは三角縁神獣鏡ではないかもしれないという考えが出てくる一方、卑弥呼の百枚とはあくまでも三角縁神獣鏡であり、100枚以上あるのはそれをもとに複製されたからだとか、卑弥呼は何度も使者を送ったので100枚以上あってもおかしくない、といった反論がなされた。


また、三角縁神獣鏡はなぜか中国本土からは1枚も見つかっていない。もし、卑弥呼が魏の皇帝から拝領したものなら中国でまったく見つからないのはおかしいという疑問が生じるが、それに対しても、三角縁神獣鏡は卑弥呼のために“特注”されたものだったので中国で見つからなくても不思議はないとする説が出されている。そうかと思えば、そもそも三角縁神獣鏡は中国から渡来してきた職人がすべて日本でつくったものだとする説もある。


かくして、邪馬台国がどこにあったのかという議論と同様、卑弥呼の百枚が三角縁神獣鏡だったのか否かも大きな論点になっている(結論はこれまた邪馬台国論争と同じく未だ出ていない)。三角縁神獣鏡をめぐっては、製作地、種類分類、製作者集団から、はては材料の銅の産地、鏡を取り巻く当時の政治情勢にいたるまで、きわめて細かな議論が百出している。


三角縁神獣鏡が中国でつくられたものか日本でつくられたものか、卑弥呼に授けられたものかそうでないのか、私なんぞには皆目見当がつかない。それでも、これに対する議論の高まりのせいで、三角縁神獣鏡と聞くと、ほかのものとはちょっと違う、どこか特別なものというイメージで受け止めてしまうようになってしまっている。


それにしても、3世紀という古代において、すでに卑弥呼が魏と交渉を持ったりしていたとは驚くほかない事実ではないか。電話もEメールもなければ、飛行機もないというのに、そんな昔にはるか中国とやり取りをし、国際感覚が磨かれていたとは! 人間の可能性というものは大変なものである。古代人侮り難し。


卑弥呼が魏と外交を結んでいたとなると、古代日本は想像以上に進んだ国だったと思われてくる。使節団を派遣するための組織もしっかりつくられていたことだろう。「国」としての日本は奈良時代の律令国家が黎明だとするのが通説だが、実際はもっと早い時期に「国」としてのかたちが成立していたのではないだろうか。私にはそう思えてならない。