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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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新型コロナウイルスに試される私たち
ブログ

新型コロナの猛威がますますひどくなってきてます。みなさんのところは大丈夫でしょうか。社会のあらゆる局面で、あらゆる人が未経験の事態に直面させられています。

 

アート関係も、当面のあいだ臨時休館する美術館が多くなっていますし、さまざまなイベントや企画が中止・延期になっています(私の仕事もほとんどがストップしています)。

 

 

個人的には、東京や神奈川、大阪、兵庫などはかなりヤバくなっていると考えています。日本はPCR検査を極端に絞っているので、表に出ているのは氷山の一角にすぎないでしょう。もし検査を諸外国並みに拡充すれば、たちまち感染者数が激増するはずです。残念ながら、東京の感染爆発はすでに不可避になっている可能性が小さくないかと。

 

 

シンプルに感染拡大を封じ込めるには人と人の接触を断つロックダウンが有効です。中国は封じ込めに成功しました(いろいろいわれていますが、人口14億の国が感染者数8万人に抑えたのはすごい)。イタリアやスペインも感染者の増加率が頭打ちとなり、ピークを迎えつつあると伝えられています。しかし、ご承知の通り、日本では同様の措置はとれません。日本でできるのは要請だけです。強制できないのですから、ほんとうはその分余計に早く手を打つべきですが、政府は要請も極力したがりません。

 

 

政府が緊急事態宣言やロックダウン要請に踏み切らないのは、主として経済的な混乱を考えてのことでしょう。小池都知事が名指ししたバーやナイトクラブに限らず、仕事がなくなれば収入を絶たれて死活問題に直結するというのは誰しも同じで、仕事を続けるかどうか、人々の判断が割れています。デパートやモールが臨時休業する一方、行政の中止勧告を振り切って格闘技の大きなイベントが強行されたりしているのはご存じの通りです。

 

 

文化活動でも同様の話が(もちろん)あります。演劇界で著名なある人物は3月末に公演を開催しました。その人物は、常々、日本は文化立国を目指すべしと主張しており、自ら演劇を通してその実現に向かって活動してきた人です。

 

 

しかし、今回は公演開催に対して批判が出ています。「こんなときに人が集まるイベントをするのは不謹慎だ」ということです。それに対しては「中止すれば文化が途絶えてしまう。芸術の公共性は守られるべきだ。定員を少なくし、客席同士の間隔を開けるなど万全の配慮をした。専門家とも相談したうえで判断している」と反論しています。

 

 

みなさんはどう思われるでしょうか? 文化活動はたしかに大切だから公演を開いたのは納得できると考えるでしょうか? それとも、こういうときは文化といえども他の分野と同じように扱われてしかるべき、と考えるでしょうか? 見解がわかれそうですね。

 

 

私個人は公演を開いたことはルール違反とまではいえないと思います。たしかに、その人物が公演をやった地域はまだ感染者が出ていないし、感染防止のための配慮も一定しているようです。専門家の助言も得ているということですから、まったく何のお構いもなしに強行したというのではないようです。

 

 

にもかかわらず、私は何やら引っかかりを覚えました。その人のやったことはルール違反とまでは思わない。だったらそれでよさそうなものなのに、その人の言い分がすんなりと自分のなかに入ってこない。いったい、これはどうしたことか? 自分でも戸惑いを覚えましたが、引っかかりを覚える事実が拭えないのです。

 

 

私は「引っかかり」というものを重視しています。そのときはなぜだかわからなくても、「引っかかり」には必ず理由があります。アート鑑賞でも「引っかかり」を感じたら、立ち止まってじっくり見るとよいと考えています。きっと「引っかかり」を手掛かりにより深い鑑賞へと進むことができます。それからすると、今回のその人の言動についても、私の胃の腑にすっと落ちない何かがあるのです。

 

 

ちょっと考えてみました。自分は何に引っかかっているのだろう? つらつら考えて見えてきたのは、どうやら「中止すれば文化が途絶えてしまう」というところのようでした。芸術の公共性を守り、文化をなくさないためには、たとえこういう状況下であっても公演を開くべき、という主張。それは一見、それなりの説得力があり、気高いニュアンスさえあるのに、どうもこの部分に引っかかりを覚えるのです。

 

 

もうちょっと考えてみました。たとえば、もしこの主張が、その人自身の活動に対してではなく、第三者の公演開催に対してであったら、私はどう受けとめただろうかと仮定の場合を想像してみました。私は、きっと実際ほどの引っかかりは感じなかっただろうと推察しました。ということは、私が引っかかりを覚えているのは、その人がその人の活動について主張しているから、ということのようでした。

 

 

その人は、いまの時期に自分たちの公演を開催するにあたって、芸術の公共性を守り、文化を途絶えさせないためだと、開催の理由を主張している。でも、それはほんとうのことなのか? その人が開催にこだわるのは、ほんとうに芸術の公共性を守り、文化を途絶えさせないためなのか? とそこまで思い至って、自分の引っかかりの正体が見えてきました。

 

 

もう一つ、仮定を想像してみました。もし、その人が「中止すれば文化が途絶える」ではなく「中止すれば収入が途絶える」といっていたらどう感じたか? やはり私は実際よりは引っかかりを感じなかったであろうと思いました。つまり、ほんとうは「収入」や「お金」の問題なのに、「文化」や「芸術」の問題に話をすげ替えているところに私は引っかかりを覚えていたのです。

 

 

そこが見えてからははっきりとわかってきました。その人は一種の芸術論、文化論を訴えているのですが、その実、本音では自分たちのお金の心配をしているのであり、そのことがむき出しに出るのを誤魔化すために芸術の公共性がどうとか論じていたのだと。事実、その人は募っていたクラウドファンディングでその後、自分たちの劇団の助けになる、ぜひぜひ支援してほしいと、こんどは身も世もなく訴えているのです(そもそも、クラウドファンディングの趣旨は劇団の支援ではなかったはずです)。

 

 

美辞麗句を並べてもっともらしい議論はしていても、結局のところは保身にすぎないというのが本性じゃないの? それを糊塗するために文化論や芸術論を持ち出しているのは欺瞞以外の何ものでもないんじゃないの? 本音を覆い隠して文化や芸術の守護者然と語ることこそ、文化や芸術をおとしめていることにほかならないんじゃないの、という気がします。お金がほしいのなら、最初からそういえばいいのです。「この公演をやめれば劇団が潰れてしまいます。やらせてください」と飾ることなくいえばよかったのです。それを芸術の公共性がどうたらと、妙なプライドは保とうとするから話がおかしくなるのです。

 

 

そもそも、公演の一つや二つが中止になったところで文化が途絶えてしまうということはありません。東日本大震災のときも数多くの公演やイベントが中止になりましたが、文化は途絶えませんでした。その点においても「中止すれば文化が途絶えてしまう」という主張は間違っています。文化は、そんなひ弱で薄っぺらなものではないのです。


 

最近では「日本の同調圧力や反知性主義との闘い」などといっています。これもやはり話のすげ替えで、すげ替えの度合いがエスカレートしています。いま、コロナウイルスを封じ込めようとしていることが「同調圧力」だというのでしょうか? 同調圧力とは、明確な理由もないままに、ただ雰囲気的に盲目的に大勢にしたがわせる風潮のことです。コロナウイルスへの対処はそれとはまったく違います。コロナウイルスを封じ込めるためという明確な社会的目的があり、そのためにはみんなの協調が必要なのです。これを同調圧力といっているようでは知性のほどが疑われます。

 

 

一度、いま医療の現場がどうなっているか見てこいというのです。どの医者も、どの看護師も、どのワーカーも、昼夜を問わず必死にウイルスと戦っています。なかには自身が感染し、何よりも大切な命さえ失う人も出てくるでしょう。遺書を書いて日々の医療に従事している医者もいるくらいです。それを「同調圧力」呼ばわり? 何を小賢しいことをいって自己正当化を図っているのか。つまるところ、この人物は自分のことしか考えていないわけです。そんな人間が文化を語るな、勝手に文化を使ってくれるなといいたくなります。

 

 

また、ルール違反とまでは責められないかもしれませんが、公演開催にはやはり問題がありました。「万全の配慮をした」といっても、「万全」とか「絶対」なんてものは存在しません。東京電力は福島第一原発の運転に万全の注意を払っていたでしょうけれど、事故は起こりました。いま院内感染が発生している病院にしても、万全の注意をしてなお起こっているのです。訪れた観客が感染したり、最悪の場合死ぬことだって絶対にないとはいえません。あるいは、会場でいくら注意していても、遠方から訪れた観客が往復の交通機関で感染する恐れもあります。そういうことがイメージされていません。やはり危機感が薄かったといわなくてはなりません。あのブロードウェイだって全部シャットダウンしているのです。

 

 

結局、こういうときにほんとうのポリシー、真の姿が立ち現れるのだと思います。ルールによる強制ではないがゆえに、いま私たちはコロナウイルスに試されているのです。この人物には今回大いに失望を覚えました(もっとも、私が失望を覚えたところで痛くも痒くもないでしょうが)。真の文化人とはいえないと思います。他方、私の知る限り、もっとも早くに臨時休館を打ち出したのは、アサヒビール大山崎山荘美術館でした。まだ他の美術館が休館を決めるかなり前のことです。立派なものだったと思います。