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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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ヨーゼフ・ボイスについて
アーティスト

もう1年経つのかと時の過ぎる早さに驚くのが、ドイツのカッセルで5年に1度開かれるアートの祭典「ドクメンタ」を見てきたことです。あのときも暑かったので、このところの猛暑で思い出しました。

 

近年、わが国ではアート・プロジェクトといわれるものが流行しています。アートは美術館で見るものという常識を覆し、美術館の外へアートが飛び出し、町や地域ぐるみで型にはまらないアートを楽しもうという祝祭的なイベントです。越後妻有アートトリエンナーレ(今年も開かれています。7/29〜9/17)や瀬戸内国際芸術祭などがその代表格で、ドクメンタはベネチア・ビエンナーレと並んでこうした動きの先駆けとなったものです。1955年から開催されており、昨年は14回目なのでドクメンタ14と呼ばれています。

 

 

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マルタ・ミヌヒン《ザ・パルテノン・オブ・ブックス》。ドクメンタ14のシンボルとなっていた

 

 

ドクメンタ14を見て羨ましかったのは、老若男女を問わずに現代アートが親しまれていたこと。日本では現代アートは若い世代にしか楽しまれていない感が拭えませんが、ヨーロッパではシニアの人たちも多く現代アートを楽しんでいます。そのため、ドクメンタ14の会場の雰囲気も“成熟”した趣がありました。一見しただけでは意味のよくわからない作品を前にしても、ひるむことなく、おばちゃんたちが議論していたりする様子は知的で大変おしゃれに見えました。

 

 

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難解な作品を前に議論を楽しむミドルの人たち

 

 

ドクメンタ14でも存在感を見せていたのがヨーゼフ・ボイス。存在感を見せていたといっても、ボイスはすでに物故者なので新作が発表されたとかではないのですが、ボイスの作品が展示され、ボイスがドクメンタのなかに確固としているだけで、イベントが締まるというか、信頼感が増すとでもいった印象を覚えました。ここではヨーゼフ・ボイスについて書いてみたいと思います(といっても、「ヨーゼフ・ボイスの全貌に迫る」とかではなく、心に思い浮かんだボイスの断片についてに限られますが)。

 

 

ドクメンタが開かれるカッセルの街では不思議な植栽が見られます。

 

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写真のように、1本の木と1本の石柱がセットになって立っているものです。これもボイスの作品です。木は樫の木で全部で7000本が街中に植えられています。作品名はズバリ《7000本の樫の木》。1982年のドクメンタ7で始められたアート・アクションによるもので、月々決められた本数の樫の木が計画的に植えていかれ、5年の時間をかけて7000本の植樹が達成されるというプランでした。木を植えるという行為を通して、ボイスは、自然を回復し作品自体が環境になる環境芸術を世に問うたのです。植樹は一過性のものではダメで持続的でなければならず、植樹が最後まで計画通りに続けられることが求められました。そして計画が完遂したら次のドクメンタ8が到来し、また新たな取り組みにつながるという循環的な仕掛けが意図されました(ボイスのこうしたアート・アクションは「社会彫刻」ともいわれます。また、このようなコトを起こすアートを一般的にはパフォーマンスといいますが、ボイスは「アート・アクション」と呼びました)。

 

 

木に寄り添っている石柱は、カッセルで産出される玄武岩です。やはり全部で7000本あります。7000本の玄武岩の石柱は、ドクメンタ7の際、ドクメンタのメイン会場であるフリドリチアヌム美術館の前に並べられました。そのおびただしい石柱を前にして、ボイスは一つのアート・アクションを実施しました。それは《ロシア皇帝冠を溶かす》と題されたもので、1547年にロシアのイワン雷帝が戴冠した冠を溶かしてしまうという驚きの内容でした。といっても、使われたのは本物ではなくレプリカでしたが(それはそうですよね)、レプリカとはいえ1.8キログラムの金、ダイヤやルビーなどの宝石175個が使われた立派なもので、当時30万マルクしたそうです。生前のボイスと親交があり、カスヤの森現代美術館の館長でもある若江漢字氏の著書『ヨーゼフ・ボイスの足跡』(みすゞ書房)によれば、ボイスは袋のなかから冠をつかみ出し、観衆に向かって高々と掲げたのち、ナイフやハサミで冠を切り裂き、破片をるつぼに投入したといいます。るつぼのなかで溶けた金は鋳型に流し込まれ、別のものに生まれ変わりました。何になるかは誰も知らされていませんでしたが、金が冷めて型枠が外されると、20センチほどのかわいい純金のウサギが出現したのでした。

 

 

冠に象徴されるイワン雷帝は「ツァーリ」の称号をロシアで初めて名乗った人物でした。ツァーリ・イワンは、功罪あざなえる支配者で、教育や文化を振興した反面、自分を脅かす存在に対しては残忍なまでの弾圧・抹殺を敢行、恐怖政治を敷きました。対外的にも領土拡大の野心に燃え、武力で周辺国へ攻め入りました。そのため、ロシアの財政は逼迫し、人々は苦難の生活を強いられました。イワン雷帝は猜疑心の強い人物で、激情にかられて自分の息子を殴り殺してしまったというエピソードも残しています。そのことは絵画の題材になっています。レーピンの《イワン雷帝とその息子》が著名です。

 

 

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イリヤ・レーピン 《イワン雷帝とその息子》 1870−73 トレチャコフ美術館

 

 

このように見てくると、イワン雷帝は暴力や抑圧的権力の象徴であることがわかってきます。そして、ボイスがその冠を切り刻み、溶かした理由もおのずと見えてきます。一方、溶けた冠が生まれ変わったウサギは、か弱い動物です。繁殖力が強いことから西洋では「生命」や「多産」の意味が見出されるようになり、生命再生のシンボルとされています。また、卵(イースターエッグ)とともに「復活の春」の表象にもなっています。ボイスは、武や威といったものを、アート・アクションを通じて、生命や再生のシンボルへと変容させたわけです。ボイスがアートの力をどう捉えていたかがうかがわれます(不燃物の処理場になっていたモエレ沼をアートの力で再生させたイサム・ノグチと通ずるものがあると思います)。

 

 

ところで、この種の表現は、ともすれば教条的でエキセントリックなものになりがちで、主張の内容自体には共感を覚えても、主張のしかたに付いていけないものを感じるときもあると思いますが、ボイスのアクションは一種大らかなものだったようです。アクションを見ていたすべての人がボイスに好意的だったわけではなく、「ボイス、お前自身を溶かせ!」といったヤジが飛び交ったり、ボイスに向かって卵を投げつける者もいたりしたなか、ボイスは動じることなく、周りの人を冗談で笑わせたりしていたそうです。そのときのボイスのありさまについて若江氏は前出の著書で「彼の振舞いは繊細で、時に大胆であり、至高なものに到達した人間のもつ確かさが」あり、「強固な意志と自信に満ちた、不可解で静かな魅力を秘めた不敵な人物といった印象を受けました」と書いておられます(P102)。

 

 

ボイスは《ロシア皇帝冠を溶かす》では武力や抑圧の撲滅を、《7000本の樫の木》では木を植えて環境の回復を表現しています。つまり、一方では抑圧的権力を葬り去って“悪しきもの”を排除し、他方では生命の再生を図って“善きもの”を増強するということで、《ロシア皇帝冠を溶かす》と《7000本の樫の木》は密接に結びついた一連のアート・アクションと捉えることができます。なればこそ、樫の木の傍らに石柱が立てられているのでしょう。

 

 

《7000本の樫の木》と《ロシア皇帝冠を溶かす》に共通する「7000」という数字ですが、これにも何か意味があるに違いありません。以下は私の考えですが、ドイツでは「7000」という数字はある記憶を持っています。第二次大戦末期、ナチスは連合国の進軍に対して、収容所に捕えていたユダヤ人らを移動させます。ただし、移動といっても、もはや鉄道での輸送能力を失っていたナチスは、ユダヤ人らを徒歩で長距離を歩かせました。「死の行進」といわれるもので、まともに休憩することなく飲まず食わずで歩かせ続け、こぼれ落ちた者は容赦なく射殺するという残虐きわまりないものでした。

 

 

死の行進を送り出した収容所の一つに、ダッハウ強制収容所があります。ミュンヘン近郊にあり、ドイツの数ある収容所のなかでも、もっとも古く、のちに各地につくられた収容所のモデルとなったところです。そのため、ドイツの歴史においてダッハウは一つの特異点となっています。ダッハウ強制収容所のあった場所は、現在は歴史遺産として公開されています。私も一度訪れたことがあります。

 

 

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ダッハウ強制収容所跡。現在は歴史遺産として公開されている

 

 

広大な敷地のなかに2棟が再建され、内部はナチスの歴史を忘れぬためのミュージアムになっています。

 

 

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プライバシーなどまったくないトイレ

 

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3段ベッドがひしめく寝室

 

 

ミュージアムは資料館の意味合いもあり、そこで何が行われていたかについてきわめて克明に調べられ、ごく細かいところまで記録化され、パネル展示されています。戦争の惨禍を展示する資料館は他にもありますが、ここはひと味違います。パネル展示は「執拗」といっても過言ではないくらいで、ダッハウ収容所で起こったこと一つひとつをキーワードに変換し、可能な限り詳細に明かそうとしています。たとえば、寝室のありさまがどうだったかについてであれば、「寝室の状況」などとするのが一般的と思われますが、ここでは「1933〜37年の寝室の状況」「1938年以降の寝室の状況」といった具合に、徹底的に歴史が掘り起こされ、決して誤魔化しのないように過去を未来へ残そうとしているのです。ですから、展示は必ずしも見易いとはいえません。すべてのパネルを読むのは不可能と思われるくらいで、これでもか、これでもかというほどに細かな事柄を記載したパネルが次から次へと現れるのです。

 

 

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1938年以降の洗い場の状況を説明するパネル

 

 

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1938年以降の寝室の状況を解説するパネル

 

 

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1933〜37年の収容棟の状況を解説するパネル

 

 

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ドイツ全土に分布した収容所の地図。規模別に細かく分類、表記されている

 

 

ここまでやるかというぐらいのパネル展示は、絶対に過ちは繰り返さないというドイツ人の強い反省の表れということなのでしょう。厳密さや執念という国民性が出ているようにも思われました。たとえ自分たちにとって不都合な事実であっても糊塗することなく、世界の人々に見てもらおうとするダッハウのパネル展示は彼らの決意のほどを伝えてきます。あるいは、自分たち自身が過去を忘却しないための、国民にとっての“備忘録”となっているようにも見えました。どのようなことでも時間の経過とともに風化しますが、それを許さず、自分たちの子孫にもしっかり見てもらいたいという確乎たる意思が込められているように私は感じました。見ていくうちに、自ずから日本の現況と引き比べ、日本人として何やら恥ずかしい気持ちが湧いてもくるのでした。

 

 

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「飢え」というキーワードのパネル

 

 

これは「飢え」というキーワードのパネルに掲載されていた写真です。ここに写っている人たちをご覧ください。人間、ここまで痩せることが可能なのかと思ってしまう姿です。1945年4月26日、このダッハウ強制収容所から7000人の人々が死の行進に出されました。その人々は、おそらく、この写真のような姿であったことと思われます。これで飲まず食わずでどこまでも歩き続けることを強いられたのです。もはや拷問。脱落すれば射殺。地獄絵図というほかない状況であったことは容易に察しがつきます。ヨーゼフ・ボイスの「7000」という数字がどこから引き出されたものか、私は知らないのですが、負の歴史の象徴としてダッハウの7000人と関係があるような気がしてなりません。《ロシア皇帝冠を溶かす》のアクションは戦争で犠牲になった人々への鎮魂の営み、不戦への誓いでもあったのではないでしょうか。

 

 

もう一つ、ボイスのアクションから私たちが汲むべきことがあります。それは、ボイス自らが冠を切り刻んでるつぼへ投入したこと。つまり、彼は冠の破壊を能動的にやっているということです。望むものはただ受け身で待っていても訪れはしない。自ら手にしようとする主体性が必要なのだ、とボイスは身をもって示しているように私には思われます。世界を変えるには、一人ひとりがアクションを起こすことが欠かせないのです。一人ひとりがアクションを起こして初めて世界は変わる——ボイスは自分のアクションが他の人々の営みともつながりを持ち、やがては大きな力として花開くことを望んだのだと私は考えています。

 

 

しかし、非常に残念なことに、ボイスは86年に死亡します。ということは、ボイス自身は《7000本の樫の木》の成就を見ることができなかったのです。それでもボイスの志を受け継いだ人たちが7000本の樫の木を最後まで植え切り、7000本目が植えられたとき、ドクメンタ8が幕を開けたのでした。

 

 

さて、ドクメンタの会場の一つでもあるノイエ・ガレリーにはボイスの作品が常設展示されています。下の写真は《The Pack》という作品で、ボイスの代表作の一つと目されています。

 

 

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《The Pack》

 

 

この写真ではよくわからないかもしれませんが、薄暗い照明に落とされたギャラリーに1台のフォルクスワーゲン・トランスポーターが置かれ、そのテールドアから、巻いたフェルトと懐中電灯と脂肪の塊がくくりつけられた橇が次々に現れ出ているさまが表現されています。橇は隊列を組み、規律ある集団であることが暗示されます。また、乗り物が橇ですから、この集団は雪の降る寒い地方を行っていることが推察されます。

 

 

ボイスの作品ではフェルトと脂肪が多用されます。

 

 

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《ジョッキー帽》 1985 豊田市美術館

 

 

上の写真は、日本には数少ないボイスの作品で《ジョッキー帽》というものです。帽子が逆さまに置かれ、なかには黄色っぽいものが充填されています。この黄色っぽいものは脂肪です。また、帽子はフェルト製です。この作品でもフェルトと脂肪が素材になっています。

 

 

ボイスがフェルトと脂肪にこだわるのには理由があります。若きボイスはドイツ空軍の兵士でした。ボイスによると、1944年3月16日、クリミヤ戦線で活動していたボイスの乗った爆撃機はソ連軍によって撃墜され、ボイスは飛行機もろとも墜落します。瀕死の重傷を負ったボイスでしたが、ちょうど墜落したエリアにいた遊牧民のタタール人によって救助、介抱されて一命をとりとめます。そのとき、タタール人のしてくれた救命法が、傷口に脂肪を塗り、体をフェルトでくるむことだったといいます。つまり、ボイスにとってフェルトと脂肪は命をつなぎとめてくれた重要なアイテムで、いわば生命あるいは生命再生の象徴ということになります。

 

 

ただし、このエピソードはボイスの作り話であろうと見られます。というのは、ボイスは3月から4月にかけて軍の病院に入院していたという記録があり、また、当時タタールの遊牧民はクリミヤ地方にはいなかったといわれるからです。あるいは、飛行機が墜落したときの写真として発表されているものには2種類あったりもします。しかし、創作であろうと、ボイスがこのエピソードを自身の芸術活動の一つのアイデンティティにしていたことは間違いありません。ボイスにとって脂肪とフェルトは象徴的な意味を持つものなのです。

 

 

ボイスはその後、戦争体験が深いトラウマとなり、ひどいうつ病に苦しみました。療養生活を強いられた時期もあります。また、芸術活動を進めていくに当たっても必ずしも順風ではなく、コンペでまったく評価されなかったり、パフォーマンス中に殴られたりすることもありました。先ほど、《ロシア皇帝冠を溶かす》の際のボイスの泰然たる様子を紹介しましたが、そこに至るまではボイスにして一筋縄ではなかったのです。そんな紆余曲折を辿りながらも、ボイスはフェルトと脂肪に象徴される自分の芸術の道を模索し続けました。その活動の底流をなしていたのは「生命」と「平和」への風化することのない想いだったと思われます。

 

 

8月は戦争と平和について私たちに振り返りを促す季節です。ボイスのことを思い出したのも、ただ猛暑のせいばかりではなかったのかもしれません。今日、アートは超多様で、最新のテクノロジーを使ったデジタル表現やポップなキャラクターを押し出した屈託のない作品など、華やかな未来志向が脚光を浴びています。それはそれでいいと思いますが、同時に人々の意識がそっちへのみ傾くというのはどうなのか、という気がします。といって、必ずアートと平和をリンクして考えなければならないわけではないのですが(そんなことを強いられたら、私も息苦しくてかないません)、8月ぐらいはアートをきっかけに、未来ばかりでなく過去にも視線を向け、戦争と平和について考える時間があってもよいと私は思います。過去のない未来など存在しないはずですから。

 

 

そう考えたとき、いまボイスのような骨太なアーティストが日本にどれほどいるのかという疑問が湧いてきます。以前は、アート表現とはオリジナリティが重要であり、その人ならではの何かが重視され評価されました。しかし、いまは評価の高い既存の表現に倣うアーティストが多いと感じます。臆面もなく「こういうのが流行りですから」と公言して憚らないアーティストもいます。そういう発言に触れると、「いったいこの人は何のためにアート表現活動をしているのだろう?」と思ってしまいます。おそらくは売れ筋に乗っかって、名前を売ったり、お金を稼いだりしたいというのが願いなのでしょう。アーティストとて人間ですから、そのような目的で活動することがあっても不思議ではありませんが、そこが最優先になっては、「アーティスト」というより「商売人」に感じられてしまいます。そして、長い目で見ると、結局は時の淘汰に生き残れない気がします。

 

 

まして、いまさら戦争と平和などということをテーマにしても仕方がないじゃないかという向きもあるのかもしれません。しかし、戦争と平和など過去のことだとして軽視あるいは無視するのは、一種の劣化だと考えます。いま日本はかつてなく激しい劣化が進んでいるように見えます。企業経営者、政治家、官僚、スポーツ界、職人、そして一般人も。私自身、他人事ではないのですが、多くが表層的な利益や享楽ばかりを追い求め、大事にすべきことを失念してしまっているのです。戦争と平和もそのようなテーマの一つでしょう。そんなないがしろは、この国をやがては行き着くところまで行き着かせてしまう空恐ろしさ、を感じさせます(奇しくも今日は広島原爆の日です)。年に一度、8月ぐらいはボイスのようなアーティストの謦咳に触れ、落ち着いて、どのような社会があらまほしいのか、そのために自分はどのような選択をしていくべきなのか、内省の時間を持ちたいものだと考えます。