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アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
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現金がなくなる日
ブログ

ふと気がついたら、最近、現金をあまり使わなくなった。そのことを強く意識したのは、こんなことがあったからだ。

 

その日は大学で授業のある日で、私はいつも通りに家を出、自宅の最寄り駅近くで昼食をとり、電車に乗って大学の最寄り駅まで行き、駅からは歩いて学校へ行った。学校で授業を行い、こんどは往路と逆のルートをたどって家まで帰った。で、家に戻って机の上を見て驚いた。なんと、そこには私の財布が置かれていたのだ。

 

 

これには心底驚いた。私は帰宅して机の上を見るまで、自分が財布を忘れて家を出たことにまったく気づいていなかったのだ。にもかかわらず、何の支障もなく、私は大学まで行って授業をして帰宅した。振り返ると、昼食はスマホの電子マネーで支払い、電車もスマホのスイカで乗った。途中、自動販売機で飲み物を買ったが、それもやはりスマホの電子マネーで支払った。結局、私はあまり意識することのないままに、すべて電子マネーで支払いを済ませており、現金はまったく必要なかったのである。

 

 

かつて、まだ私が出版社の編集者だった頃、私の編集した本のなかに、流通革命をテーマにしたものがあった。ある流通系の経営コンサルタントが著者で、本の中でその著者は「いずれ現金はなくなる」と予言していた。電子マネーはまだなかったが、クレジットカードが大きく伸びている時期で、やがて人々はクレジットカードですべての買い物の決済をするようになり、現金は消滅することになると主張していた。私は本を編集しながら、たしかに理屈ではそうだけれども、かといって現実に現金がなくなるなんてことはあるまい、と腹の中で思っていた。この著者はちょっと理屈だけで物事を考えすぎだ、現実には理屈からはみ出る部分が必ずあり、必ずしも理屈通りには進まないものだ、と懐疑的だった。それがおおよそ30年前のことである。

 

 

ところが、どうだ。多少時間がかかったとはいえ、いまや社会はあの経営コンサルタントが予言した通りになりつつある。クレジットカードやデビッドカード、電子マネー、最近ではビットコインのような仮想通貨までが普及するようになり、お金の流通形態は多様になった。おかげで現金はずいぶん影が薄くなった。現金である必然性は希薄で、現金を持ち歩くより、カードや電子マネーで決済したほうが安全である。

 

 

あるいは、レジで1円玉や5円玉でもたもた端数を数えているよりも、電子マネーで支払ったほうが手間が省けてスマートである。レジ待ちの時間もグッと短縮できる。手持ちのお金が足りないので買いたいものが買えないということもない。給料が銀行口座に振り込まれ、消費は電子マネーやカードを利用するようにすれば、たしかにもはや現金は必要ない。そのためには社会のインフラも対応できなければならないが、現に、上記のように、現金なしでも生活が成立するような状況になりつつある。非現金化が日本より進む中国では、すでに屋台でさえ現金が要らないのだそうだ。「現金がなくなる日」がリアルなものになってきているわけだ。

 

 

もうひとついえば、カードや電子マネーでお金を使えば、さまざまな特典が付与される。ポイントが溜まったり、マイルが溜まったり、現金で決済したのでは得られないメリットが生じる。ますます非現金化を促すモーメントが働いているのである。そのうち、現金を入れるところのない財布が流行、なんてことになるかもしれない。

 

 

机の上に置き忘れられた財布を見ながら、私は一種の感慨にふけった。気がついたら、あのコンサルタントが予言していた社会は到来していたのだ。お金は紙幣や硬貨ではなくなり、電子的な記号に置き換わりつつある。電子記号が現実のモノよりも価値を持つ社会が、ほんのすぐそこまできている(というか、すでにもうそうなっている)。このお金の情報化は、いまはまだ想定されていない事態を引き起こす可能性がある。これからの子どもは、銀行強盗とはハッカーのことだと認識するようになるかもしれない。新しい可能性は、ぜひ好ましいものであってもらいたいものだ。