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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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ベトナムへの旅
エッセイ

ずいぶん間が空いてしまったが、「ベトナムへの旅」の続き。

ベトナムの美術は社会派が多いと前回書いたが、↓もそうした一作。

 

DSCN3884.jpg

ブイ・トラン・チュオク 《タイグエン鉄鋼コンビナート》 1962

 

やはり漆絵で、実在の工業地区が主題となっている。小さな画像ではわかりにくいかもしれないが、画面全体にわたってコンビナートが展開しており、製鉄所のシンボルである高炉の高い煙突も見える。多くは竹の足場を伴う建設中のもので、いましもベトナムが経済的躍進を遂げつつあるダイナミズムを描き出している。描写はかなり細密、入念で、祖国の経済発展を歓び、謳い上げている作者の気持ちが伝わってくる。

 

 

DSCN3887.jpg

グエン・ドアン・チュエン 《スクール・ガーデン》 1961

 

こちらは趣が一転して、どこかの庭園あるいは公園の様子を描いている。やはり漆で細密な描写がなされている。学校の庭と題されているが、人物は生徒たちばかりではなく、煙草を吸う年寄りや赤ちゃんを連れたおかあさんなんかも見られるから、公共の場のように思われる。が、詳細はよくわからない。見るからに平穏なひとときが主題となっており、なにげない日常生活の一端が描かれたものとも考えられるが、同時に、本作が制作された1961年はケネディ大統領が本格的にベトナムに派兵したまさにその年でもあるので、平和を希求する想いが仮託されていると見ることもできる。

 

 

ここまで、いまとなっては伝統美術と呼んだほうが妥当なものを紹介してきたが、ベトナムは現代アートも活発である。以下、いくつか眼についたものをピックアップしてみたい。

 

 

DSCN3898.jpg

レ・ヴァン・フイ 《長い眠り》 2008

 

これは非常にインパクトを覚えたもの。油彩画である。画像では大きさがわからないかもしれないが、横2メートル以上あったかと思う。かなりの大作である。本作の最大の特徴は筆致。一部分を拡大してみると、↓のようになる。

 

 

 

 

ご覧のように、絵の具が渦巻き状にキャンバスに厚盛りされ、見たことのないマチエールをかたちづくっている。渦巻きはさまざまな色彩を伴いながら、執拗なまでに反復され、やがて画面全体へと広がっている。そのため、ただ仏(?)が寝ているというだけではない印象につながっている。渦巻きの一つひとつが輪廻を象徴しているようでもあり、そして一つひとつが異なっていることから、一人ひとりの人間あるいは人生のメタファーと解釈することもできそうである。色彩も判然としないままにも不思議な調和が感じられ、じつに奇妙な、それでいて魅力的な絵画世界を現出していた。

 

 

DSCN3904.jpg

グエン・ゴック・ダン 《レッドライト》 2011

 

ベトナム美術の特徴(あるいは東南アジア美術の特徴)として社会的なテーマが濃厚であることを先に指摘したが、この作品もそうした一つ。赤信号と電柱と、そして何より異様に張り巡らされた電線が主題となっている。作者にとっては、このような光景が現代ベトナムを象徴するシーンということなのだろうか。

 

 

実際、ハノイを歩いていると本作のような場面は珍しくない。

 

DSCN4138.jpg

 

この作品を見る前に、私もついこのような写真を撮っていた。これでちゃんと配線できているのか不思議なくらいである。また、あるところではショートしたのか、電線の塊から煙が上がっていて、あたり一帯が停電していたりした。一種、ベトナムの混沌を象徴した風景ではある。作者はこうしたところに現代ベトナムのリアルを感じ取っているのだろう。

 

 

DSCN3908.jpg

リム・キム・カ・ティ 《ライフ・イズ・ビューティフル》 2011

 

白い草原(?)で家族らしき3人連れが眠っている場面が描かれている。この人たち以外には色彩がない。また、3人の姿が何かの文字をかたちづくっているようにも見える。これまで見てきた作品に比べると、社会性は希薄になっていて、プライベート感が強い。マイクロポップとかインナーアートといわれる最近の日本のアートに通じるものがあるように感じる。ベトナム社会が少しずつ豊かになってきたのにシンクロして、アートも日本など先進国のものに似始めてきたということだろうか。

 

 

ところで、先日、BS1スペシャルで「幻の名画を救え! 〜岩井希久子 世界初の修復に挑む〜」という番組が放送されたのをご覧になった人はいらっしゃるだろうか。絵画の修復家として世界的に著名な岩井希久子氏がグエン・ファン・チャンの絵画を修復する過程を追ったドキュメンタリーである。グエン・ファン・チャンはベトナムの国民的画家とされる人だそうで、彼の絵はごく薄い絹に描かれるのが最大の特徴。そのため、耐久性は弱く、番組ではかなり痛んだ作品を岩井氏が苦闘しつつ修復する姿を描き出していた。また、恥ずかしながら知らなかったのだが、グエン・ファン・チャンの名は『美術手帖』2000年10月号の特集「20世紀の美術100」においてピカソやマチスらとともに挙げられているという。

 

 

美術館にも彼の作品が展示されていた。

 

 

グエン・ファン・チャン 《籐を編む人たち》 1960

 

ガラスへの映り込みが激しく、これでも一番ましな一枚なのだが、どんな絵かおわかりいただけるだろうか。非常に繊細な絵で、女性たちの姿が滑らかで迷いのない細線で優美に描かれている。また、支持体の絹の網目がよくわかるほどなのに(つまり絵の具の痕跡がない)、絵柄はしっかりとしているという矛盾をはらんだ風合いでもある。

 

 

こんなに薄くて華奢なのにどうして絵柄はこんなにしっかりしているんだろうと不思議に思って見ていたが、BS1スペシャルを見て謎が解けた。彼の絵は絹に絵の具をつけ、その絵の具で表現しているのではなく、絹に塗った絵の具は水で洗い流し、絵の具で絹糸を染め、絹糸そのもので発色、表現しているため、華奢なのにしっかりしているとなるわけだった。驚異の表現方法である。この表現方法について、2005年に東京ステーションギャラリーで開かれた「ベトナム近代絵画展」(高知県立美術館、和歌山県立近代美術館、福岡アジア美術館にも巡回)を企画した九州大学の後小路雅弘教授は「グエン・ファン・チャンはどのようにして、絹の上に絵の具をのせるのではなく、染めるような描法にたどり着いたのかは、現状ではつまびらかにし得ない」と語っている(白鳥正夫『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』三五館)。

 

 

番組ではグエン・ファン・チャンの絹絵をベトナム独特のものと紹介していたが、ベトナム独特というよりはグエン・ファン・チャン独特といったほうが当たっているように思う。いずれにせよ、絹の薄さがある種のはかなさを感じさせながら、芯の強さをも同時に伝えてくるという可憐で骨太とでもいうべき稀有の芸術と感嘆することしきりであった。なお、グエン・ファン・チャンの絹絵と修復への道程については、上記引用表記した『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』を読まれるとよろしいかと思う。岩井氏がどういう経緯で修復を委ねられたかや、どれほどの人たちの熱意と志で修復が実現したかがよくわかる。

 

 

この旅を通じて、いままでよりずっとベトナムとの精神距離が近くなった。ベトナムは今後も大きく変わってゆくことだろう。そのプロセスでは失われるものもきっと多く出てき、その都度、摩擦と軋轢を生じよう。,能颪い織丱ぅに関しても、近い将来、ハノイ市街へのバイクの乗り入れを全面的に禁止する方針が打ち出された。だが、ハノイの現実を目の当たりにした身としては、そのような政策に現実性があるのだろうかと疑問を覚えざるをえない。おそらく、ひと悶着もふた悶着も起こるに違いない。順調な発展だけではなく、そんな混乱も含めて、せっかくできたご縁なのだから、機会あるごとにこれからもベトナムに注目していきたいと思う。

 

 

(おわり)

 

 

PS

7/5〜10/23まで、森美術館と国立新美術館の共催というかたちで「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」が開かれています。ベトナムのアートも出品されています。大変興味深い中身となっていますので、ご覧になってはいかがでしょうか。