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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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ベトナムへの旅
エッセイ

ベトナムへ行ってきた。なぜベトナムだったかというと、特段の理由はないのだが、強いていえば一昨年に森美術館で開かれた「ディン・Q・レ展」のことが頭にあった。それまで東南アジアのアートはタイやシンガポールのものを見る機会が比較的あったが、ベトナムのアートは私にはほとんどエアポケットになっていたので展覧会の内容が新鮮に感じられた。以来、一度しっかりとベトナムのアートを見ておきたいと思っていたのだ。

 

ベトナムは今回が初めてで、首都ハノイに1週間ほど滞在した。東南アジアということで、暑い国というイメージがあったが、この季節のハノイの最高気温は23℃程度と案外涼しい。ベトナムは日本と同じようにタテに細長い国なので北部と南部とではかなり気候が違うのだ。日本でも北海道・東北と九州・沖縄とでは気候が全く違う。思えば、それと同じことであった。

 

 

2月末、成田からハノイのノイバイ国際空港へ向かうベトナム航空機は満席であった。ベトナムは1986年のドイモイ政策開始以来、必ずしも一貫して順調とはいえないまでも経済がテイクオフしているので日常的に行き来する人が多いようである。機材はボーイング787ドリームライナーという最新鋭機で、途上国といわれる国の飛行機ではない。日本やアメリカ、ヨーロッパのナショナル・フラッグ・キャリアとどこも違うところはない。ビジネス関係ばかりではなく観光客も多い。先日見たHISの海外ツアーの人気ランキングでは、ハノイへの商品がNo.1になっていた。 

 

 

ノイバイ空港へは6時間のフライトで到着、やはりヨーロッパやアメリカより近い。沖縄出身でベトナム戦争に従軍取材するなど、人生のかなりの部分をベトナムに注ぎ込んでこられたフォトジャーナリストの石川文洋氏は、著書『ベトナムロード』でノイバイ空港について「素朴といえば素朴このうえない空港」と書いている。しかし、その描写はいまではまったく当てはまらなかった。現在のノイバイ空港は巨大なターミナルビルが二つそなわった大空港で、ベトナムではホーチミン市のタンソンニャット空港に次ぐ規模である。日本の空港に当てはめれば羽田や成田ほどではないが、伊丹や名古屋よりは大きいように思われた。ノイバイ空港の国際線ターミナルは日本のODAによって建設されている。

 

 

DSCN4296.jpg

ハノイ、ノイバイ国際空港

 

 

滞在するホテルに依頼していた迎えの車に乗り込むと、車はハノイ市街を目指して一目散に走り出した。それはまさに一目散という走りっぷりであった。片側4車線ほどもある広い道路を時速80〜90キロぐらいでぐんぐん飛ばす。右へ左へとしきりに車線変更して先行車を縫うように追い越していく。しかもドライバーはしきりにスマホを見たり通話したりしている。日本では考えられない走り方である。シートベルトをしっかりと締め直す。

 

 

ノイバイ空港からハノイ市街までは30キロ余りある。空港エリアを離れると、道の両側はすぐに開けた土地になった。開けた土地といっても、農地のような荒地のような性格がよくわからない土地で、それが延々と広がっている。時折、牛の牧場があったが、とくに柵で囲うでなし、適当にそのへんに放しているといった感じで、それでいて牛のほうも逃げ出したりしないようだった。大空港のすぐ近くにそんな牧歌的な風景が見られ、日本にはない珍しさがあった。

 

 

道行く車を見ていると、世界のいろんな国の車が混在していた。日本の車もあれば韓国のヒュンダイやキア、中国の大型トラック、アメリカのフォードやGM、ヨーロッパのベンツやBMW、ルノーなどもあり、とくにどこが多いということはない様子で、世界の車がごちゃまぜで走っているふうだった。どこの国でもたいてい、どこかの国や地域の車が優位を占めているもので、こういったありさまは意外と珍しい。それは南部のホーチミン市でも同様であった。車事情はその国の世界的な経済関係を大まかに類推させるものがあるから、どこにも偏らない車のありさまはベトナムという国の特殊性を物語っているように思われた。ベトナムはかつて同じ社会主義の国であるソ連を盟主として頼んでいたが、1991年のソ連邦崩壊以来、全方位外交の道を歩んでいる。その方針が車の状況に如実に反映しているように見えた。

 

 

途中、ホン(紅)河という雄大な川を、伊勢湾自動車道の名古屋港口に架かるような巨大な橋で渡る。ニャッタン橋という。2014年12月に竣工した新しい橋で、長さは3700メートルもある。斜張橋としては世界最長級だそうだ。この橋も日本のODAで建設されており、IHIインフラシステムや三井住友建設などのJVが施工を担当している。

 

 

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ハノイ郊外を流れる雄大なホン(紅)河

 

 

このニャッタン橋があるかないかでは空港−ハノイ市街間の交通の便が相当違うように思われた。世界最長クラスの斜張橋を自前で架けるお金も技術もベトナムにはまだないであろうから、こうしてODAが具体的なかたちに結実したものを見ると、日本はベトナムに貢献しているのだなと感じることができた。ただし、ODAによって日本政府がお金を出し、日本の建設会社が橋を架けているということは、日本の会社が日本政府を相手に商売していてその舞台がたまたまベトナムだったにすぎないという見方も可能である。橋が架かってベトナムの人たちの利便性は向上したであろうが、もしそれだけであれば、ベトナムをダシにして日本の会社が儲けている図式であり、ODAという表向きの裏側にひそむ事情がちらほらと見える思いがする。明治維新のときに鉄道建設や繊維産業の立ち上げなどでお雇い外国人が大儲けしたのと同じことである。ベトナムの人々への技術啓発や持続的な雇用など、基盤からの底上げもなされていることを願う。

 

 

ホン河は土砂を含んで茶色をしており、いかにも東南アジアの大河然とした佇まいである。向こう岸が霞むほど大きい。ハノイに来るまでホン河のことは知らなかったから、前から知っているメコン川ともなるともっと壮大なスケールなのだろうか。河川敷にはバナナの畑らしきものが散見され、土地柄を感じさせる。

 

 

ニャッタン橋を渡るとハノイ市街に入る。ハノイの街について、石川氏は「大勢の人や自動車の騒音につつまれたサイゴンとは対照的に、ハノイはびっくりするほど静かな街でした。人々は自転車に乗って樹木の並んだ道を黙々と往来している」(『ベトナムロード』)と描写している。だがやはり、私が眼にしたハノイはまったく違っていた。そこはバイクと自動車が入り乱れ、収拾のつけようのない混沌がきわまったところだった。とくにバイクが物凄く、まるで川の流れのようにいつまでも途切れることなく延々と押し寄せ続け、一台一台のバイクが水の分子の如く、ちょっとした隙があれば入り込み、我先に進もうとするのだった。

 

 

ハノイ旧市街。街でもっとも幅を利かせているのはバイク。

この写真では凄まじさを伝えきれないのが残念

 

 

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バスもこんななかを進む。よくバイクや人を引っかけないものだ

 

 

バイクの奔流に半ば押し流されるようにしながら車が進み、バイクと車の激流を掻き分けるようにして人が進む。驚くべき交通だった。道路を横断するためには、旅行者は蛮勇を振るう決意が求められるありさまであった。私はこれまで世界20カ国40都市ほどを訪れたことがあるが、こんな街は初めてだった。石川氏がハノイを「静かな街」と書いたのは1987年のことである。いまからちょうど30年前になる。この30年間でハノイは相当にその姿を変貌させたらしい。大きく変わりつつあるハノイはまさに現在進行形の発展の現場であり、都市の成長とはどういうものかを見せつけるものがあった。だが、失ったものも決して少なくないように思われた。

 

 

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我先に進もうとするので幹線道路でもしばしばこんな状態になる

 

 

私たちを乗せた車はハノイ旧市街の入り組んだ細い道を進んでいった。事前に市街地の地図を見て、おおよその地理感はつけておいたつもりだったが、まったく無意味であった。どこをどう走っているのか皆目見当がつかない。それよりもバイクや人を轢きやしないかとハラハラのし通しである。バイクは車の脇から急に前に割り込んでくるし、車も車間距離を空けずにそれに続こうとする。車とバイク、車と車の間隔が日本人の私にはどう考えても近すぎる。よくこれで事故にならないものだと驚くばかりである。それでも誰も文句をいわない。ハノイではこれがいつものことなのだろう。

 

 

そうこうするうち、ふいに車が止まり、気がついたらホテルに着いていた。やはり思っていたのとは違う周辺の様子であった。ホテルに到着して一息つくと、旅先にベトナムを選んでよかったのだろうか、失敗したのではないかという疑問のような心配のような気持ちが湧き上がってきた。この先一週間もこの街に居て何ができるというのだろうか。

 

 

私が滞在したのはレリテージホテルという中級のホテルだった。結論からいえば、ここは“当たり”であった。このホテルに限ったことではないのかもしれないが、スタッフが皆フレンドリーで親切なのだ。どんなホテルかわからなかったので、日本ではとりあえず2泊分しか予約を入れず、残りは現地で実際に確かめてから決めようと思っていた。ところが、そのせいで3泊目が満室で取れず、その夜だけ別のホテルへ移動しなければならなくなったのだが、その別のホテルの予約や荷物の移動までレリテージのスタッフが甲斐甲斐しく全部やってくれた。それで1円の手数料も取られなかったのだから、かえって恐縮してしまった。

 

 

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レリテージホテルの部屋。決してゴージャスとはいえないが

自宅に居るように寛ぐことができた

 

 

部屋はきれいに掃除がしてあって快適だった。リネン類も真っ白で気持ちよく、シャワーもちゃんとお湯が出て途中で水になるというようなことはなかった。バスタブはなかった。デジタル入力式のセーフティボックスが各部屋に備えつけられてあり、パスポートなどの貴重品を安心して入れておくことができた。唯一問題があったとすれば、私たちの泊まった部屋の外側に各部屋のエアコンの室外機が設置されていて、そのなかの一台が異様に大きな音を立ててうるさかったことぐらいであろうか。宿泊料は、ブッキング・ドットコムを通しての予約で、ツイン一泊当たり50ドルほどだった。レリテージホテルの宿泊客はほとんどが外国からの旅行者で、意外にヨーロッパからの観光客が多く、半分以上は西洋人だったのではないだろうか。日本人は私たちだけみたいだった。

 

(つづく)

 

 

追記

ベトナムについての記事を投稿したら、ベトナム国籍の女児が殺害されるという痛ましい事件が発生しました。心よりご冥福をお祈りするとともに、真犯人の逮捕を強く願います。逮捕されないうちは、殺人犯はそこにいるのだから。