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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
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「心臓音」と「心臓音のアーカイブ」
ブログ

ボルタン01.jpg

東京都庭園美術館でクリスチャン・ボルタンスキーの展覧会が開かれている(「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス―さざめく亡霊たち」〜12/25)。庭園美術館でボルタンスキー? と興味をそそられ、見に行った。

 

 

出品されていた作品の一つに「心臓音」というものがあった。音声記録された誰かの心臓の拍動音が暗い室内に大音量で再生され、その心臓音にシンクロしてライトが明滅するという作品で、豊島のやはりボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」と同じからくりである。いわば、「心臓音」は「心臓音のアーカイブ」の東京版で、音声記録そのものも豊島のアーカイブから持ってきたのだそうだ。したがって、「心臓音」を鑑賞すれば、「心臓音のアーカイブ」を鑑賞したのと同じような体験が得られるはずである。

 

 

ところが、それがそうではなかった。同じであるはずの「心臓音」と「心臓音のアーカイブ」なのに、少なくとも私にはかなり違って感じられた。これは理屈からすればおかしなことで、同じ内容の作品を鑑賞しているのだから、印象も似たようなものでなければならないはずなのに、実際には相当大きな差異を感じたのだ。不合理というしかないのだが、現実に私は両者に別作品といっても過言ではない相違を感じた。いったい、どういうことだろうとしばし考えた。

 

 

「心臓音」と「心臓音のアーカイブ」のどこがどう違うのかと考えると、最大の差異は、作品そのものではなく、作品を見に行くにあたっての過程にあることに気づく。「心臓音」は美術館内の展示なので、館内をめぐると次々現れるギャラリー空間の一つにある。前の展示室を出て数歩歩けばもう「心臓音」の展示室に至る。アクセスはイージーで、展覧会に出品されている数ある作品のワン・ノブ・ゼムという捉え方となる。それに対して、「心臓音のアーカイブ」はそこに行くまでにそれなりの道程を経なければならない。「心臓音のアーカイブ」が位置しているのは豊島でも東の端で、唐櫃(からと)の港から歩けば15〜20分程度かかる。そんなものでもなければ、わざわざ足を向けることなどないであろう島の果てである。

 

 

ボルタン03.jpg

豊島の海岸、右奥に小さく見える建物に「心臓音のアーカイブ」がある

 

 

訪れたときは、えらい辺鄙な場所を選んだもんだなと思っただけだったが、こうして「心臓音」と「心臓音のアーカイブ」を見比べてみたら、立地の周辺環境だけではなく、その場所へ行くプロセスにも重要な意味があったのだと気づかされる。足を進めるとザッザッと砂の音がする道を15分、20分と歩いていく行為。すぐ隣の部屋にあるのではなく、時間をかけて徒歩でアプローチしなければならないことそのものが作品の枢要な部分を成していたのだ。それが「心臓音のアーカイブ」をして俗世と隔絶させる機能を果たし、「心臓音のアーカイブ」を目の当たりにして覚える一種特別な感覚を醸成しているのだろう。作品とは、作品そのものだけでは決まらないということを改めて知らされた思いがする。

 

 

思えば、豊島は香川県に属し、香川は四国の県である。そして、四国といえばお遍路である。お遍路もまたひたすら歩くものだ。八十八のお寺を巡るが、八十八のお寺を訪れることが目的というよりも、そのプロセスたる「歩き続ける」ことに大きな意味があるのはいうまでもない。私たちの人生にも似たようなところがきっとある。長い人生を経て獲得、到達したポジションもさることながら、そのポジションに至る過程に意味なり意義なりが存しているのである。ボルタンスキーは、そんなことも秘かに私たちに伝えているのかもしれない。

 

 

ボルタンスキーの作品には、二度と訪れることができないのではないかと思われるような場所に設置されているものもある。人に見てもらうため、とはとても判じられない。そこへ行くことには大きな困難がついて回り、難行苦行を強いられる。行ってみようとしても行き着けるとは限らない。まさしく四国遍路そのものではないか。ボルタンスキーと四国遍路には、共通して流れているものがあるような気がする。