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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治
私的展覧会レビュー

2016.9.17ー11.20 : 平塚市美術館

 

DSCN2897.jpg

 

そもそも主催者側の挨拶文に「重いと思われるかもしれない」と書かれているように、この展覧会はちょっと重苦しいイメージを与えるかもしれない。シベリア抑留体験を描き続けた香月泰男、《原爆の図》で知られる丸木夫妻、敗戦の記憶を表現し続けた写真家・川田喜久治と並ぶと、たしかにそれもやむなしの感がある。だが、そのことを覚悟のうえで本展は開かれている。また、ただ重苦しいだけかどうかは実際に見てみなければわからない。

 

 

香月泰男のシベリアシリーズは、私が本展でもっとも期待していた作品群で、私にとってのハイライトである。展示は山口県立美術館の所蔵品を中心とした34点で構成されていた。私的な結論を先にいえば、期待は完全に満たされた。私としてはこのシリーズが見られただけでも平塚まで足を運んだ甲斐があったというものだ。

 

 

《雲》(1968、山口県立美術館)は、暗い空の真ん中あたりだけが楕円形に青く底光りし、そこに雲が浮かんでいるという不思議な図。私には夜の空が青くほのかに発光しているように見えたのだが、作品横の解説によると昼の光景なのだそうだ。そうなのか?と思いつつ再度絵をよく見てみるが、やはり夜の空に見える。まあ、そう見させてもらおう。ただ単に夜空(?)が描かれているだけといえばそれだけなのに、望み求める場が他にありつついまの自分にはどうしようもないといった切ない心情が潜んでいるみたいに見えた。

 

 

《朝陽》(1965、山口県立美術館)は縦長の作品で、黒い大地の上に赤く不定形な丸い太陽がポカリと昇ったシーンが描かれている。全体はざらざらとしたマチエールである。冬の朝、耐寒訓練として素足で走らされたときの心象風景で、作者は「疲労、寒さを忘れさせる程の厳粛な美しさだった」と語っている。わが身の置かれた状況を一瞬忘れさせてくれた神々しい光景だったことだろう。

 

 

「うらめしかった」と作者がいうのは抑留の身で見る異国の街の景色だった。《海拉爾(ハイラル)》(1972、山口県立美術館)に描かれているのは高所から広く見渡したハイラルの景観。土色の地の大きな横長の画面一杯に真っ黒な街が無機質に広がる。家や建物らしきものが描かれているようだが明確ではない。そのあちこちから細長い煙が立ち上っている。煙はそこに暮らす人々の営みの証である。おそらく食事の支度であろう。そのさまに画家は「人間家族の温もり」を見出し、「私はほかには何もいらぬ。絵を描けて家族とともにいられるのならば、その煙がうらめしかった」と語っている。じっと見続けていると胸が締め付けられてくる。

 

 

香月泰男の絵は決して声高に叫ぶものではない。ただ静かに伝えるだけである。作品のほとんどは土色が基調で、絵柄もまるで土で描いたかのような趣をまとっている。土壁のような絵だ。にもかかわらずというべきか、それとも、だからこそというべきか、深々と胸打たれるものがある。また、作品が発するメッセージは別にしても、絵として見る者を引き込む力がそなわっていると思う。シベリアシリーズをまとめて見られる機会はなかなかないだけに、本展は貴重な機会である。

 

 

丸木位里・俊夫妻による《原爆の図》は、そのときその場にいた者たちの慟哭を突きつける。死体の塊はアウシュビッツをなぜか連想させる。いま「なぜか」と書いたが、もしかしたら「必然的に」なのかもしれない。どちらも人類が二度と生じさせてはならないものなのだから。

 

 

川田喜久治は原爆ドームや被爆者の腕のケロイドなどを撮影している。原爆ドームでは壁や天井のしみや剥落を執拗に追いかけている。しみや剥落は、たしかにそれがあったのだということをリアルに物語る。

 

 

本展を推し進めたのは美術館館長の草薙奈津子氏。草薙氏は美術評論家としても活躍している方だが、私の記憶と印象ではいい加減なことをいってお茶を濁すタイプではない。評論家や学芸員のなかにはそれらしいことを適当に喋って、聞く者を半ば煙に巻きつつ一人で満悦している(と見える)人がいるが、草薙氏はそういう人ではない。ハッタリや奇をてらうことはせず誠実に語る人物である。それゆえ話の内容が若干保守的に感じるときもないではないが、この人が打ち出した展覧会であれば信頼できると思わせるものはある。そして、本展もまさにそのような展覧会であった。

 

 

本展のような“地味な企画”は今日では開催しにくいはずである。正直、“地味”であるがゆえに観客動員もあまり期待できないだろうし、華やかな企画がほしい地方美術館においてはますます目立たなくなるリスクもある。それでも平塚市美術館がこの企画を実行したのは高く評価されてしかるべきだろう。見る側にとっても決して軽いものではないし、しんどい部分もある。しかし、しんどくはあっても、意味ある企画である。先に書いたように、メッセージは別にしたとしても見応えがあるので、一人でも多くの人に訪れてもらいたいと私も願う次第だ。

 

 

★★★★

 

 

※展覧会レビューについて
展覧会レビューは、筆者の価値観と感性で記しているものです。したがって、「正解」とか「模範解答」を狙ったものではありません。お読みくださる方には「世の中にはこういう見方もあるのか」ぐらいに、あくまでも参考としてご覧いただければと思います。筆者の見方に固定されず、ぜひおのおのの見方をすすめられることを願います。