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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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キトラ古墳
奈良・古代
先日、「飛鳥の大宇宙〜キトラに眠るのは誰だ」(BSプレミアム)という特番が放送された。私も興味深く視聴した。明日香村のキトラ古墳の被葬者はいったい誰なのか、田中泯が孫娘にさまざま考えられている説を物語るという趣向で演出されていて、それがなかなかいい味付けになっていた。

キトラ古墳は、石室の内壁に玄武(亀と蛇が合体したような神)や白虎などが、天井にはきわめて詳細な天文図が描かれていることで知られる特異な古墳である。亀の玄武と白虎から「亀虎」=「キトラ」と呼ばれるようになったという。


この古墳の主は誰なのかだが、番組は二人の専門家の考えを軸にして探っていった。一人は京都橘大学の猪熊兼勝名誉教授、もう一人は近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長。猪熊氏は奈良文化財研究所の研究者として長年にわたって奈良の古墳を研究してきた人物で、1998年のキトラ古墳調査団の団長も務めた。白石氏は橿原考古学研究所を経て歴史民俗博物館の副館長を務め、全国各地の古墳を考古学的視点から研究してきた古墳のスペシャリストだ。いずれも現在日本を代表する古代学者といって差し支えないだろう。


で、お二人は被葬者は誰と考えているかというと、猪熊氏は皇族の高市皇子(たけちのみこ)、白石氏は豪族の阿倍御主人(あべのみうし)を最有力候補としていた。それぞれ根拠があって(当然だが)、その話が面白い。


猪熊氏は地域全体の地理的要因を重視する。キトラ古墳が築造されたのは藤原京時代と考えられているが、藤原宮から東経135度48分の経線に沿ってほぼ真っ直ぐ南に天武持統天皇陵や文武天皇陵などの皇族の墳墓が位置しており、これは決して偶然ではなく、東経135度48分のラインが「聖なるゾーン」を形成しているとする。キトラ古墳も「聖なるゾーン」に位置しているから皇族の墓である可能性が高いという。また、キトラの石室天井に描かれている天文図は北斗七星が中心で、北斗七星は天皇の礼服のデザインとして古代から用いられていることから、天皇中心の世界観を描いていると読み取る。被葬者は皇族と考える。


さらに、「聖なるゾーン」に位置する皇族の古墳を藤原宮から順に天武持統陵、文武陵、刑部皇子陵、河嶋皇子陵、草壁皇子陵、そしてキトラ古墳とポインティングしていくと一つの記号が浮かび上がると猪熊氏はいう。その記号とはまさしく北斗七星のかたちだというのだ。もっとも、この話は猪熊氏自身「若干こじつけのような話ですが」と笑いながらの紹介だったが、もしキトラを高市皇子の墓とすれば、ピタリと辻褄が合うのである。しかも、このメンバーは壬申の乱のときのいわゆる「吉野の盟約」の顔ぶれにほかならない。話としては非常に興味深い。


一方、白石氏はやはり考古学者らしい観点から考察する。まず、キトラ古墳のあるあたりは「阿部山」という大字で(直近のバス停も「阿部山」である)、阿部山の地名が阿倍氏を被葬者と示唆しているとする(阿倍氏が眠っている小山のような墳墓なので「阿部山」と言い習わされてきたということか)。また、キトラから東へ6キロほど行ったところに安倍文殊院(あべのもんじゅいん)というお寺がある。ここは阿倍氏の氏寺だが、平安時代にこの寺で生まれたのが陰陽道で知られる安倍晴明である。そしてその陰陽道の祖が阿倍御主人で、彼は陰陽道を司る立場にあったというのだ。


陰陽道は、天体観測などによって吉凶を占う古代中国起源の思想である。キトラの内壁に描かれた天文図や玄武、白虎、青龍、朱雀の四神獣像は古代中国文化の系譜に属する。また、天文図に描かれている星空は北緯37.6度ぐらいから見た図になるという(これは白石氏の研究ではなく、同志社大学の宮島一彦教授の研究)。北緯37.6度は飛鳥や奈良、京都よりはずっと北で、百済の都あたりになるという(北朝鮮と韓国の境界が38度線だ)。つまり、飛鳥から見た星空ではない。さらに阿倍氏はいまでいう外務省の役割を担う豪族だったと考えられており、これらのことからキトラ古墳は古代中国思想を描いているのであって、被葬者は海外文化と縁の深い人物が想定され、阿倍御主人という比定が合理的だと考える。


もう一つ、安倍文殊院の西古墳(御主人の父親の墓と考えられている)の石室は石材がきわめて精緻に組み重ねられていて、指一本入る隙間もないという。表面は美しく磨き上げられ、数ある日本の古墳(なんとコンビニの数より多い!)のなかでもトップクラスのきわめて高度な築造技術でつくられているという。そしてキトラ古墳も同等の技術で築造されており、技術的な側面からも阿倍氏に関わる古墳である可能性を物語っているとする。

 *

という具合で、猪熊説、白石説のいずれにも一定の説得力を感じ、大変興味深いものがあった。現在のところはまだ決定的な結論は出ていない。番組を見て、私自身が感じたのは次のようなことだった。まず、この番組では、そもそもキトラ古墳は藤原京の外縁部に位置する古墳だとしてあくまでも藤原京との地理関係において紹介していたが、われわれ奈良の人間からすれば、その地理感覚にはちょっと違和感がある。キトラ古墳は天武持統陵や文武陵、高松塚古墳などよりさらに南にあり、これはもう完全に飛鳥京のエリアである。番組の地図では藤原京しか示されず、飛鳥京は(意図的に?)省かれていたから、この地域に詳しくない人は藤原京との関係しかないと誤解する恐れがあると思った。同じ番組を見ていた奈良の幼馴染みもまったく同意見であった。


次に、天井の天文図が何を表現しているかだが、猪熊氏は天皇中心の世界観、白石氏は古代中国思想と解釈していた。私は白石説のほうに共感を覚えた。猪熊氏は図の中心に北斗七星があるとしていたが、正確にいえば中心ではなく、真ん中から少し外れたところに描かれていた。おそらくこれは、星空のありさまを見えるがままに冷静に描いただけではないか。中心はいうまでもなく北極星で、北斗七星はその近くに位置しているので図においても中心近くに描かれたにすぎないという気がする。


もし北斗七星中心の世界観を描いたものであれば、北斗七星がまったくの中心でなければ不自然だし、北斗七星だけ大きく描かれるということがあっても不思議ではない。また、壁に描かれた神獣など中国由来のモチーフも説明がつかない。北緯37.6度からの星空というのも大陸との関係を強く示唆している。やはり天皇中心の世界観と読み取るのは無理があると私は思う。また、石室の築造技術の指摘も強い説得力を感じた。これもたしかに阿倍氏とのつながりを深く思わせる。


番組では触れられなかったが、すぐ近くにあって同じく壁画で知られる高松塚古墳との関係も推理の一端になるように思う。キトラ古墳と高松塚古墳はほぼ同時期につくられたと見られており、どちらも高度な壁画が特徴的だ。しかし、両者には決定的な違いがある。それは古墳の大きさで、高松塚古墳はキトラ古墳の約2倍の大きさがある。常識的に考えれば、より大きいほうがより高い身分を表しているだろうから、キトラの被葬者は高松塚の被葬者より身分が下だったことが窺われる。とすると、皇族の高市皇子より豪族の阿倍御主人のほうが蓋然性は高いように私には思われる。


このように、合理性や正当性という面ではどちらかといえば白石説のほうにより説得的なものを感じはしたが、猪熊氏にも魅力を感じた。「吉野の盟約」の面々の墓が北斗七星をかたちづくっているという話などはとてもロマンティックだし古代史の魅力を増してくれる見方だと思う。ご自身、少し照れ臭そうに笑いながら話しておられる様子にも好感を抱いた。正しい、間違っているといったことを超えた古代史の愉しさを猪熊氏は私たちに伝えてくれていると思った。


それから、猪熊、白石の両氏からは離れるが、キトラ古墳を発見したのは地元農家で古墳愛好家の上田俊和氏だったということも強く印象に残った。上田氏は仲間とともに「七人の古墳侍」(グッドネーミング!)という私的なグループで古墳探しをしておられるそうで、キトラ古墳も彼らの純粋で旺盛な知的好奇心によって見つけられた。ということは、もし、彼らがいなければキトラ古墳は発見されなかったではないか! 鉄棒のようなゾンデを地面に突き刺しては古墳がないかと探して歩く上田氏の姿が紹介されていたが、こういう素朴な営みがときに大発見をもたらすのだと改めて胸にしみた。なお、上田氏は2年前に十二指腸にがんが見つかったそうである。ご快癒またはがんとの長い共存を強くお祈りしたいと思う。