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ARTRAY

アート鑑賞ナビゲーター藤田令伊のブログ形式のメディアです。
展覧会レビュー、アート鑑賞のヒント、アートニュースなどアートに関する
effectiveな情報を発信しています。アート以外についてもときどき書きます。
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チューリヒ美術館展
私的展覧会レビュー
2014.9.25〜12.15:国立新美術館
2015.1.31〜5.10:神戸市立博物館


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チューリヒ美術館のコレクションがまとまったかたちで紹介されるのは本邦初だそうだ。「チューリヒ美術館」という名称からは国立の美術館とイメージされるかもしれないが、そうではない。美術を愛好する市民たちがつくったチューリヒ芸術協会という団体が管理・運営している。いってみれば、市民活動によって支えられている美術館である。本展では「チューリヒ美術館」という訳語があてられているが、原語では「クンストハウス・チューリヒ」となっている。「クンストハウス」(直訳すれば「芸術の家」)は「ムゼウム」に比べてカジュアルなニュアンスがある。


チューリヒ美術館には中世から現代アートにいたる約10万点の作品が所蔵されているが、万遍なく集められているわけではない。チューリヒという土地柄を反映して、やはりセガンティーニやホドラー、ヴァロットンといったスイスのアーティストの作品が分厚い(セガンティーニはイタリア生まれだが)。またチューリッヒで産声を上げたダダのコレクションも充実している。つまり、一般的な美術史の文脈に沿ってではなく、独自のカラーをもってコレクションがかたちづくられているのである。本展でもその特色が垣間見られ、ポピュラーな美術史では跨がれがちな作品群が新鮮で興味深かった。


新鮮で興味深い筆頭はセガンティーニだった。


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ジョヴァンニ・セガンティーニ 《淫蕩な女たちへの懲罰》 1896−97


セガンティーニといえば、アルプスの山々の光あふれる風景を鮮やかに描く画家だというイメージが強いのに、いったいこれは何なのだろう? 画面全体がダークブルーの色調で暗鬱に覆われ、まるで生気がない。抑うつ的で、よく見れば画面左側には骸のような女たちが空中に横たわって浮いている。いちおう背景はアルプスの山々ぽくなっているが、現実的ではなく、すべてが凍結したかのような一種異様な場面立てだ。しかも、タイトルは《淫蕩な女たちへの懲罰》というのである。セガンティーニは美しい山岳風景の作家だと思っていたら、思いっきり裏切られてしまう作品である。


この「淫蕩な女たち」というのは「逸楽にひたり妊娠を拒んだ罪の償いをする女性たち」だという(展覧会図録より)。自然に対して畏敬の念を抱き、ありのままの自然を尊重していたセガンティーニにとって、「避妊」という行為は許しがたい自然からの逸脱あるいは母性を否定する蛮行だったのかもしれない。幼くして両親を亡くしたセガンティーニには、母性は終生追い求めた生命の根源であった。この絵は明るく光に満ちたアルプの作品とは表裏を成しているかのような趣がある。セガンティーニのもう一つの内面なのだろう。


展覧会の“目玉”は、モネの大作。


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クロード・モネ 《睡蓮の池、夕暮れ》 1916−22


縦2メートル、横6メートルある。池の水面に反映する光と色がいっそう入り混じり、もはや大きなイリュージョンと化している。セガンティーニとは違って、こちらはモネらしいといえばじつにモネらしい作品。


妙に気になったのはホドラーの一連の風景画。


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フェルディナンド・ホドラー 《日没のマッジア川とモンテ・ヴェリタ》 1893

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フェルディナンド・ホドラー 《ケ・デュ・モンブランから見たサレーヴ山》 1914−15

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フェルディナンド・ホドラー 《朝方の峰》 1915

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フェルディナンド・ホドラー 《日没のレマン湖》 1915


どの絵も水平性が強調された構図になっている。山は皿を伏せたような平べったいかたちで描写されているし、《日没のマッジア川とモンテ・ヴェリタ》では手前の川面が、《ケ・デュ・モンブランから見たサレーヴ山》では手前に並んでいる白鳥たちが、《日没のレマン湖》では俯瞰で見るレマン湖のかたちが、いずれも横への広がりをさらに感じさせるよう描かれているふしがある。《朝方の峰》はヴァレー地方のアルプスの険峰を題材にしているが、ここでも峰々の最上部のなだらかな部分だけが切り取られ、峻険さは意図的に回避されている。作者の何らかの意図が見え隠れする。


ホドラーの考えでは水平性は死を連想させるという。また、1908年にホドラーは「パラレリズム」という考え方を発表している。自然のなかに見出すあらゆる平行や反復は、宇宙の根本原理の現れだというのである。上掲の作品でも風景が水面に映っているところが描かれているがそれは反映という反復として、また、何列にもたなびく雲や山、水、鳥の集まりの関係は平行としてホドラーには認識されていたものと思われる。ホドラーのいう平行や反復とは、単に形態的なものにとどまらず、色彩的なもの、繰り返し現れる現象、喜怒哀楽のリズム、さらには生と死を繰り返す人間そのものにいたるまで、幅広い視野と思考で捉えられた。したがってホドラーの芸術は、ただ景色を描いたというのではなく、自然や世界に潜む秩序や構造、調和といったものを明らかにしようとしたものと思われる。


ただし、見る側も必ずそのように見なければならない、ということはない。作家の考えはそれはそれとしつつ、見る側は見る側の見方や感じ方をしていけばよいのである。《日没のレマン湖》の空の色のグラデーションが美しいという見方や感じ方をして悪いわけではないし、私自身も妙に平べったい山ばかりが描かれているのが不思議に思ったというのが最初に引っかかったところだった。また、平べったさ(水平性)が死を予感させるというふうには私には見えない。


ヴァロットンも面白く感じた。


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フェリックス・ヴァロットン 《日没、ヴィレルヴィル》 1917

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フェリックス・ヴァロットン 《訪問》 1899


彩色のしかたが色面といってもいいような塗り方で、赤系と青系の鮮やかな対比が独特の不思議な雰囲気をつくっている。これも現実の場面を題材としていながら、作者はもっと別の何かを描き表そうとしているように見える。あるいは、現実にありうる場面でありながら、非現実的な印象もある。描き方そのものはプリミティブなのに、独自の作品世界を存分につくることに成功していると思う。



ところで、展覧会の中身自体はそのように面白かったのだが、またぞろ同じ“小言”をいうようで心苦しいが、展覧会の告知のしかたが気になった。↓が展覧会の特設サイトなのだが、

http://zurich2014-15.jp

告知文の見出しが「圧巻! すべてが代表作」となっている。いくらなんでも、これは言い過ぎであろう。こういう無責任な告知を平気で堂々としてしまっている現状が嘆かわしい。しかも、本展は国立の美術館と公立の博物館で開かれる展覧会である。公的な機関があまりにも無責任で大仰すぎる告知を、あまりにも無造作にしていないだろうか。ミュージアム側は、告知に関してはPR会社に委ねているということかもしれないが、それで済む話ではない。いま少し、神経を行き届かせた宣伝をしてもらいたいものである。


★★★★


※展覧会レビューについて
展覧会レビューは、筆者である私、藤田令伊の価値観と感性で記しているものです。したがって、「正解」とか「模範解答」を狙ったものでは決してありません。
お読みくださる方には、「世の中にはこういう見方もあるのか」ぐらいに、あくまでも参考としてご覧いただき、筆者の見方に固定されず、おのおのの見方を展開していってもらえればと願います。